学校法人ワオ未来学園 ワオ高等学校

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2023/01/13イベント

【秋の哲学フェス2022】金曜18時のオープン哲学カフェ「嫌なことから逃げてもいい?」

 

フランスの哲学者マルク・ソーテが「考えの打ち合いの場」として始めたという哲学カフェ。

「フランクな場で、もっと気軽に哲学を議論したい」という創始者の思いを継いで、ワオ高校では今までも週に1度、哲学カフェを実施してきました。

 

そんな「気がつけば考えている自分に驚く」体験を一般の方にも広く味わっていただこうと、「ワオ高・秋の哲学フェス2022」に合わせて、哲学カフェをオープンな場として公開。

 

参加される皆さんには、身近で気になる「問い」に対して哲学者の思想をヒントに考えを深めていくために、「#ジューダイクエスト」として設定した10題をテーマに考えていただきました。

 

第9回12月2日(金)のテーマはQ9:嫌なことから逃げてもいい?でした。

 

 

今回のテーマは哲学しやすそうですね。

いつものように、提示された選択肢「A:逃げてもいい B:逃げちゃダメだ」のどちらかを選んでもらうと、Aを選んだ参加者が多いようです。

 

今日はワオ高のオトナにも発言してもらいましょう。

 

Aを選んだオトナ参加者「自分自身が壊れそうになっている時には、逃げることも必要だと思います。」 

Bを選んだオトナ参加者「他人を傷つけることや犯罪行為からは逃げないとダメです。でもやるべきことは自分にプラスになることだと思うので、逃げちゃダメということになるんではないでしょうか。」

 

ワオ高ゼロ年生も含む、中学生にも聞いてみます。

 

中学生参加者「やっぱり自分にプラスになることだったら逃げちゃダメだと思う。」 

中学生参加者「逃げる前のものが最善とは限らないから、逃げた先でどうするかが大事だと思う。」

 

先生「逃げるなりの理由があるなら逃げてもよいってことかな。なかなか鋭いね。」

 

ワオ高生の考えはどうでしょうか。

 

ワオ高生「私は以前の学校が嫌で、そこから逃げてワオ高に来た。嫌なことが何かわからないけど、束縛されて自由にできない、自分らしくいられないようなことからは、逃げた方がいいと思う。」 

ワオ高生「自分が立てた目標のプロセスに、自分のスキルと比べて段差があると、しんどい。逃げちゃダメだと思ってないと、どんどん先延ばしになってしまう。」

 

先生「なるほど。今のところまでは、各々の価値観や道徳観で話してもらっている状態で、まだ哲学には入っていません。ここからは哲学の話に入っていきましょう。」

 

先生から、カール・ヤスパースの提唱した「限界状況」が提示されました。

 

【哲学メモ】
限界状況:現代の哲学者カール・ヤスパースが提唱した概念。人間存在として避けることができない、立ち向かうべき限界に直面している状況。乗り越えようとすべき壁。

 

先生「この限界状況ってどういうことかというと、例えば『生命って何?』と問われても、即答できないよね。『宇宙って何?』も困る。でも、それってどうでもいいこと?答えに困るから、定義せずにスルーしていいのかな?

これをヤスパースは限界状況として、簡単ではないけれども立ち向かっていくべき状況と定義したんです。」

 

「限界状況」をヒントに「嫌なことから逃げてもいい?」という問いに哲学的な答えを出していけそうですね。

 

先生「一般的に言う『嫌なこと』は、本当に無理なことなのか?無理じゃないけど避けてるだけっていうことが圧倒的に多そうじゃない?数学嫌いだからやらない、人と会うの面倒だから会わない、とか。」 

参加者「なんか、逃げちゃいけないって思い始めますね。」

 

先生「そうだよね。ただ、さっきワオ高生が言っていた『前の学校が嫌で逃げてきた』というのは違う。

選択を誤ったことに気が付いて、選択し直したということだから。」

 

ヤスパースの限界状況については、他にも寿命、成長、平和などの例が参加者から挙がりました。

 

先生「みんなから色々なレスポンスが返ってくるようになりましたね!哲学カフェをスタートした頃には『先生、一体何語を喋ってるの?』っていう空気感だったけど…(笑)」

 

ここで先生から、もう一つ哲学的な視点が示されました。

 

【哲学メモ】
エピクロス派:古代ギリシャの哲学者エピクロスに影響を受けた学派。快楽主義。自分の情緒を乱すものを避け、心の平穏な状態(=アタラクシア)を追求しようとした。

ストア派:同じく古代ギリシャの学派。禁欲主義。努力によって物事に紛動されない不動心(=アパテイア)に至ることを理想とする。

 

先生「エピクロス派(快楽主義)の快楽は『心の平穏(=アタラクシア)』を指しているのであって、現代の我々がイメージする、欲望を満たすというような意味ではありません。一方のストア派(禁欲主義)は『不動心(=アパテイア)』を目指す。つまり、欲望の赴くまま煩悩に支配されることのないアパテイアを、禁欲主義の成果として位置づけた。」

 

 

ここまでで示された「限界状況」「アタラクシア」「アパテイア」という3つの哲学的視点を用いて、「嫌なことから逃げてもいい?」の問いについてあらためて考えてみました。

 

参加者「『エヴァンゲリオン』の主人公になぞらえると、世界を守るという責務を果たすためには、無感動に(不動心で)与えられた任務をこなす方が成果を上げられる、ということでアパテイアを使います。」 

先生「なるほど。相談相手に向かってそれを言った時に心に響くかな、という点では疑問もあるけどね。

経験を積むための努力をする時に、アパテイアの状態が大事。だから逃げちゃダメだってアドバイスする感じかな。」

 

参加者「僕は限界状況を使って、嫌なことに当たっても見なかったことにせずに受け入れようと思います。」

 

先生「そうですね。日常にあり得そうな例を使って『君が対峙しているものってそれほどでもないんじゃない?

逃げちゃ損じゃない?』って言えそうです。」

 

参加者「私はアタラクシアを使ってみます。仕事や勉強をするのって、幸せになるためだと思うんです。辛い思いをしたくて生きている人はいないですよね。

だから、平穏でいられないことからは逃げてもいい。幸せになることを前提にしてると、辛くても頑張れるし、嫌だとは思わないだろうから。」

 

先生「『逃げてもいい』をアタラクシアを使って説明するのは面白いですね。例えばどんなふうに取捨選択しますか?」

 

参加者「私だったら、英語の勉強は目標のために必要だから、しんどくても逃げないし、嫌にもならない。

むしろやらないことが反アタラクシアでストレスになりそう。でも物理や数Ⅲからは逃げてもいいと思う。

数理探究の微分積分とか、教養としての数学は勉強したいけど、受験で点数取るための勉強は要らない。」

 

先生「逃げることによって快楽を得られない場合、逃げないことによって快楽を得られる場合、両面ありますね。」

 

先生からはアラン『幸福論』の一節「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。」の紹介もありました。

 

「逃げる」というような発想ではなく、意志を持って選択することこそが幸福の礎だということですね。

 

 

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