ワオ高校の学びは3層構造。
まずは、国語や数学などの共通科目。次にワオ高校オリジナルの哲学・科学・経済の「教養探究」科目。そして、将来に繋がる専門知識やスキルを身につけるオプションコース。
学びの真ん中に「教養」があります。
教養とは、知識を単に持っているだけではなく、①その知識がなぜ必要で、②そこから何を学ぶことができ、③どのように社会に正しく活用できるか を知っていること。
教養を身につけることで、一般的な科目で学んだことや専門スキルをどのようい活かせばいいのか正しい判断を下せるようになります。
多様性や変化に富んだこの時代では、絶対の正解が与えられることはありません。だからこそ、豊かな教養と柔軟な発想をもって、これからの社会を作り上げていく力が必要になります。
教養探究では、哲学・科学・経済をテーマに、現実で起こりうる「簡単には答えを1つに絞れない社会問題」に対して知識を活用するトレーニングを行い、「教養」を身につけていきます。
フツウの学校じゃ学べないワクワクする学びをワオ高校でしてみませんか?
大人になるために必要な「考える技術」。
深く深く考え、ディスカッションを
繰り返す中で、
新しい世界が見えてくる。
哲学は人間の営みについて「普遍妥当」な定義を求めて、「考える」ということを磨き続ける言語ゲームです。
今生きている社会を、哲学的な見方で見つめなおすことで、今見えている世界が全く違ったものに見え、身近な社会問題も新たな視点で捉えなおすことができるようになります。
高校生のうちに、そんな「目を開く」体験をしてほしい。そんな思いで、対話を繰り返し、とことん「考える」授業を展開しています。
「この世界は夢だ」という主張を否定できる?
懐疑とは、一般用語では「疑うこと」と理解されていますが、哲学的な見方では「決めつけないこと」。身の回りにありがちな「決めつけ」を改めて見直してみましょう。
テストで100点を取る生徒と30点を取る生徒、どちらが偉い?
あらゆる人が「価値がある」とみなすものはあり得ません。では、価値は誰がどのように決めているのでしょうか。「テストで100点を取る生徒と30点を取る生徒、どちらが偉い?」あなたらならどう答えますか?
自動運転車の事故の責任を取るのは、ドライバー? メーカー?
公平な社会とは、努力した人が認められ、結果的に格差が生まれる社会の事。つまり、正義が発揮される社会には人間同士に正しく格差が生じます。そう、正義とは「格差を認容すること」なのです。
縄文人と現代人はどっちが自由?
鳥はなぜ自由に飛べるのか。鳥は大気という大きな「制約」があるから空を自由に飛べるのです。矛盾しているように感じるかもしれませんが、自由とは「制約の中での自在性」なのです。