学校法人ワオ未来学園 ワオ高等学校

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2023/09/27教養・リベラルアーツイベント

オモシロイ教科探究!言葉にできないを言葉にしてみる冒険(国語探究編)

 

ワオ高校では、正解のない問いに対する考えを深めていく探究学習を大切にしています。

探究学習について少しでも多くの方に知ってもらいたい!という思いから、ワオ高校では“テストには出ないけれど教科そのもののおもしろさを教科教員と一緒に探究する”「本当はオモシロイ教科学習~親子で参加できる探究講座」を開催しています。

 

今回のブログでは、先日国語科の赤坂先生とMCの川本先生とでお送りした国語探究「言葉にできないを言葉にしてみる冒険」の様子をお届けします。

 

まず冒頭に、こちらの映画のビジュアルポスターが提示されました。みなさんは、この映画をご存じでしょうか?

 

©2016「君の名は。」製作委員会

 

 

そう、新海誠監督の「君の名は。」ですよね。

 

このタイトルは、1952年にNHKのラジオドラマが大ヒット、1953年に松竹が岸惠子、佐田啓二主演で映画化した、「君の名は」に基づいています。

 

「君の名は」というタイトルだけでは映画の内容は想像できないですね。名前が物語の中で重要な役割を果たしている、そのシチュエーションを象徴していることは何となく想像できます。

 

名前の重要性がキーポイントになっている作品と言えば、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」もありました。名前を失う、名前を取り戻すことが、大きな意味を持つ作品でしたね。

 

遥か昔から、日本では名前というものが非常に大切にされてきました。特に恋愛の場面では、重要な意味を持っていました。

 

ではここで問題です。

 

 

『源氏物語』の作者である、この人物の名前は何でしょうか?

 

 

参加者からもすぐに正解が出てきましたが、「紫式部」ですよね。

 

しかし、これは後世につけられた呼び名で、本名ではありません。

藤原為時の娘で、夫である藤原宣孝と死別したのちに一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の長女)の元に使えた時には、「藤式部」という女房名で呼ばれていました。『御堂関白記』に登場する藤原香子(かおるこ/たかこ/こうし)とする説もあるものの、本名については不明です。

 

『枕草子』の作者の「清少納言」も女房名です。

 

平安時代では、基本的に人前で本名を名乗るのはタブーでした。そのため本名は「諱(いみな)」=「忌み名」とも呼ばれ、家族などの間や、公的な書類などでしか明らかにされませんでした。特に女性の場合、公的活動が少ないため、本名が残されることはまずなかったのです。

 

この貴族間での名前の習慣は明治維新まで変わりませんでした。

また、武士は武士で別の名前の習慣を持っていました。明治時代にそれらとは異なる新しい規則が定められて、今の形になりました。

 

では、ここで次の「歌」を見てください。

 

籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告らめ 家をも名をも

 

これは『万葉集』の一番初めに載っている雄略天皇の長歌です。

 

「良いかごを持ち、良い串を持ち、この丘で菜を摘むお嬢さん。君の家を聞きたいので、名前を教えてくれないかな。大和の国はことごとく私が治めているものです。隅々まで私のものです。だから私の家も名も教えよう。(だから君も教えてくれるでしょうね)」という意味です。

 

この歌の中での「名前を聞く」というのはどういう意味を持っているのでしょうか?

 

それはつまり、「求婚」です。

 

なぜなら、本名は「家族」にしか明かさないからです。赤の他人が「家族」になるということは、結婚するということになります。

 

それだけ、名前というのが特別な意味を持っていたわけですが、現代でも、日本人は相手を姓ではなく名(下の名前)で呼ぶことに、ある種の特別感を持っていますよね。

親しい友人とか恋人とか、かなり近い関係でないと、なかなか下の名前では呼びません。特に呼び捨てにするとなると、かなり心理的なハードルが高いでしょう。

 

そう考えると、「君の名は。」というタイトルは、「I love you.」という「告白」の意味だと言ってもいいのかもしれません。

 

では、その「告白」、あなたならどんな言葉を紡ぎますか?

 

これはなかなか難しい問題ですよね。

特別なシチュエーションで、特別な言葉を並べればいいというわけではありません。

 

公衆の面前でサプライズのプロポーズをして、あえなく玉砕という恥ずかしい動画は、YouTubeなどで調べればいくつも出てきます。

 

とはいえ、プロポーズは「お付き合いしてください」という告白とは違って、お互いにもうそろそろ?という認識があるうえで行われるはずなので、一か八かというものではないはずです。

 

では、古代の人たちはどういうプロポーズをしていたのでしょうか。

実は、古代には「歌垣」と呼ばれる、現代の「合コン」のようなイベントがあり、そこでプロポーズをしていたと言われています。春や秋に特定の場所に若い男女が集まり、一緒に食事をしながら、歌を詠んで気持ちを伝えていました。有名な場所としては、常陸の筑波山や大和の海石榴市(つばいち)があります。その海石榴市で読まれた歌が『万葉集』にあります。

 

紫は灰(ほの)さすものぞ、海石榴市の、八十の街(ちまた)に逢へる子や誰れ

 

この歌の意味は「海石榴市の辻で逢ったあなたは誰ですか、名前を教えてください」です。歌垣の行われる場所や相手の名前を聞く意味を知っていれば、これがプロポーズの歌であるということが分かります。

 

ちなみに、この歌は相手の女性の心に響いたのでしょうか?

 

この歌は『万葉集』の巻十二相聞に収められた問答歌で、女性からの返歌が載せられています。

 

たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行き人を誰と知りてか

 

「お母さまが私を呼ぶ名を言ってもよいけれど、通りすがりの方なのでどなたかわからず言えません」とこの男性は見事に振られてしまいました…。

 

続いてこちらの歌はどうでしょうか?

 

あしひきの山のしづくに妹(いも)待つとわが立ち濡れし山のしづくに

 

この歌は『万葉集』に収められた、大津皇子が恋人の石川郎女に贈った恋歌です。約束の場でずっと恋人を待ち続けてずぶ濡れになってしまった、という内容に対して、石川郎女は次のような歌を返しています。

 

吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに成らましものを

 

私を待ってあなたが濡れたという山のしずくに私もなって寄り添いたかったわ、という意味です。

 

なかなか熱烈な思いがこもっていて、石川郎女も大津皇子の気持ちに応えているように感じられますね。しかも文学的にも非常に優れた表現だと思えます。

 

ただ、この石川郎女、この時点で大津皇子のライバルである草壁皇子の妻だったとも言われており、宮中ではなく、隠れて山で逢わなければならないということも考えると道ならぬ恋だったのかもしれません…。

 

『万葉集』にはこのような相聞歌がたくさん残されています。古代では、歌で気持ちを伝えて、歌で名前を訊こうとしていたわけです。うまく歌を詠むというのが恋愛において大切なスキルだったと言えるでしょう。

 

いつの時代でも、恋愛にしても結婚にしても、価値観を共有できることが相手選びの重要なポイントになってくるのではないでしょうか。歌でも表現しているのは、結局のところその部分だと言えるでしょう。

 

「こういうことを美しいと思う人なんだ、素敵だな」と思ったり、「私とは合わない」と思ったり、そういうことを表現する為に、日本人は言葉を覚え、歌を詠む力を鍛えていったのではないでしょうか。

 

 

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親子で参加できる探究講座

毎週水曜日 18:00~19:00(オンライン)

 

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